走れるようになるまで

 走ることを決定してから1週間で、はやくも膝をいためてしまい、歩くことも困難な状態でした。膝に重い体重の負担がかかりすぎ、膝の関節の靭帯を痛めてしまったようです。完全に安静にしていたほうがよかったのかもしれませんが、ここで脱落するのはいやだったのと、できれば少しでも筋力をつけたかったので、のろのろと週に2から3回は走り続けました。といっても走るなんてものではありません。歩く程度か、早く歩いている人には抜かれるような速度です。

 ヒマがあればスクワットをしていました。膝が不安定となっているのですから、膝のまわりの筋肉をきたえて膝をしっかりとさせるためです。私と比較するのはおかしな話ですが、あの切れ味のよい技の名横綱、ウルフ千代の富士が肩の脱臼を繰り返していたのですが、彼は腕の付け根の筋肉を鍛えることによって肩をかため、それからは肩の脱臼はなくなりました。同じ様な効果をねらったわけなのです。6月末に右膝を痛め、右ばかりかばっていたら次は反対の左膝も少しいたくなってしまいました。

 7月、8月はずっと右足をひきずるように歩いていました。通勤には自転車をつかっていました。自転車は体重がほとんど座っているサドルにかかって、足には体重はかかりません。自転車でゆっくりと走っていれば膝の負担も少ないのです。歩くよりも自転車で走っているほうが楽でした。

 9月に入り、徐々に右膝の痛み、はれがおさまってきて、中旬にはなんとか走れるまで回復してきました。9月末には初めて10km休まずに走れ、とてもうれしかったのを覚えています。

 走れるようになってもまだゆっくりとです。ある日曜の朝、大阪城公園を走っていたのですが、後ろから朝日が体にあたり、前に自分の影がみえます。ところがどうでしょう、影のおなかのあたりが、ゆれているのです。本人はさっそうと走っているつもりですが、実際には中年ぶとりが無理をして汗をかいているだけです。ショックを受けましたが、現実ですからしかたがありません。

 走りはじめの当初の目標は、なんとか10km休まずに走りたいと考えていたのですが、膝の故障がなおったらすでにこの目標に到達していました。しかし速度は遅いのですが。ランニングの速度は通常1kmを走るのに何分かかるかで測定します。最初は1km7分ほどかかっていました。この頃は大地をけって走るなんてものではありません。足が上がりませんから、すり足で前に進んでいるようなものです。やがて1km6分となり、なんとか走っているなと実感できるようになってきました。

 年が明けて1月の中頃でした。日曜日の朝、淀川の堤防を走っていたら、マラソンの達人に出会いました。この方とは前から面識はあったのですが、走っているのに出会ったのは初めてでした。福岡国際マラソンにも出場した方で(福岡国際マラソンは出場制限がとても厳しいのです)マラソンフリークでもあり、自分の子どもに走太(そうた)、蘭奈(らんな)と命名するような人なのです。しばらく一緒に走りながら話をしていると、月間200km走ればフルマラソンに出場できると教えていただきました。その一言で生活が変わりました。梅雨に走り始めて半年後から月に200kmずつ走るようになってしまったのです。

 一人で走っていると、これでいいのかと不安になる時がよくあります。そんな時に手助けになるのが、本です。わたしは「ゆっくり走れば早くなる」(ランナーズ、著者:佐々木功)という本を繰り返し読みました。「ゆっくり走れば早くなる」、なんという魅惑的な、また矛盾に満ちたタイトルでしょう。早く走りたいのですが、だれも最初から早く走れません。ゆっくりとなら走れる気がします。でも、実際はタイトルの通りでした。トロトロとなんとなくゆっくりと走っていたら、早く(自分としては)走れるようになっていたのです。著者は浅井えり子選手のコーチ兼ご主人である方です。